鳥飼総合法律事務所
鳥飼総合法律事務所のコラム
投稿:新井健一郎
ハードクレーム事案において、お金を払うということ
先日、ハードクレーム事案の相談があった。
すると、たまたま先週もハードクレーム事案の相談があった。
この2つの相談は、対応と方針がだいぶ異なることとなった。
それは、クレーマー及びクライアントのタイプが違ったということもある。
また、相談に預かる弁護士の見立ての違いということもある。
しかし、1つ気になったことがある。
それは、
「クレームをお金で解決する」こと。
このこと自体は、よくあることではある。
また、この対応が絶対にダメだということではない。
しかし、
特定の場合、強く避けなければならないことがある。
クレーム対応をすることが普段ない方でも、そのことは容易に想像がつくと思う。
例えば、
相手が暴力団である場合。
一瞬、逆のように思える。
ところが、この種の相手の場合、金を払うことは解決を意味しない。
相手からはこれ幸い、付け入る隙が生じた瞬間だ。
さらなる要求がやってこないとも限らない。
また、そもそも、暴力団に対して、お金を払うこと自体が問題になる。
昨年の東京都暴排条例の施行以降、厳しくなる暴力団に対する規制を前に、
善良なる市民がお金を払う選択肢は、決して、プラスに作用しないことを肝に命じるべきだろう。
また、例えば、
業界が狭く、類似のクレームが不可避的に発生することが予想される場合。
これは、何を言っているのかといえば、
暴力団の事例とは違った風評が生じるということだ。
狭い業界では、クーム対応の1つすら評判になる。
きちんと対応しなければならない理由の1つだ。
そこで問われているのは、お金の問題ではない。
姿勢の問題だ。
正義の問題なのだ。
払う金額が数万円の少額のものであっても、そこで失うものは、想像以上に大きい。
後ろ向きなことに関わりたくという経営者、従業員の気持ちもわかる。
「こんなことで何十時間も使いたくない。お金を払って解決ならば、それはそれでいい。」
そういう発言もクレーム対応において、往々にして聞くところである。
しかし、この後ろ向きなことに対する毅然とした取組みなくば、前を向くことすらできなくなる。
失うものは、会社の理念だからだ。
日々日々、働く会社の存在意義そのものだからだ。
事はそれほど軽くないと言わざるを得ない。
くどいが、繰り返す。
理念とは、ブランドだ。他者の評価の結晶だ。そして、忠誠心の源だ。
だから、理念への打撃は、
消費者のブランドイメージを低下させ、
他の業者からは、テキトーとの評価を受け、
従業員の会社に対する忠誠心にひびが入るのだ。
従業員は、経営幹部の真の姿を、
業界の関係者は、同社の将来性を
そして、お客様は、そのブランドの価値を、
そういう行動を通して、確認しているのだ。
だから、不退転の決意をもたなければならない。
そういう問題なのだ。
だいぶ大袈裟に聞こえると思う。
僕も他人がそういっていたら、斜に構えて、聞き流すのが関の山。
しかし、そういう見えにくいが理念が問われているときがある。
弁護士は、良くも悪くも、理念が問われる場面に関わることを宿命としている。
多く関わるがゆえに、鈍感になってしまうのか、
きちんと受け止めて、しっかりと依頼者に人生の1つの岐路であることを考えてもらうのか。
仲間の弁護士をみていて、一緒にものを考えたいと思う弁護士は、
実は、優秀かどうかなどではなく、この種の理念を感じられる人間である。
今日は、少し長文を書いた。
というのは、すでに書いたように僕も他人が書いたら流してしまいそうな内容だったから、
しっかりと書かなければ伝わらないと思ったから。
2012/04/17
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